収集家
趣味が昂じて生活の大半を締めてしまうことがあります。傍から見てその趣味が生活の中心になっているときその人は「〇〇家」と呼ばれます。読書が好きでたくさんの本を読み、気づけば家の壁一面が本棚になってる。その人は「読書家」になりますね。その人が新居を作るときには本をたくさん収納できて、心地よく読書ができる家を作ることになるでしょう。つまりその人自身は読書家であり、設計される家も読書家(どくしょいえ)になるのです。我々建築家もその例外ではありませんね。

今回の改修設計をした家の施主は日本の古い引き戸、襖、屏風などバラバラな建具を収集しています。それらを収蔵しきれないので今回の京町家に可能な限り使いたいという依頼を受けました。一つの家に収めるには数的にも、デザイン的にも収まらないそれらをどう建築に収集するのか。それが今回のテーマになります。

冒頭の説明をあてはめるなら施主は収集家。家は収集_家(しゅうしゅうーいえ)になるでしょう。

施主と建築の間のモノ
 私の少ない経験の中から施主と設計者の関係性について述べるのは恐れ多いですが、収集家の設計を通して考えたことを書きます。施主と設計者の間には「どのような空間にしたいかという要望」がありました。その読み方、すり合わせ方に手腕が問われるのが私達の仕事です。ただそれでは、「空間に関する施主のアイデア」と「空間に関する設計士の回答」という関係性になり、これでは地続きの思考で、飛躍がありません。思いついたものがおよそ正確に表現できてしまう時代ですから、思いもよらなかった空間が生まれるという建築の喜びが純粋に価値を持つように思います。それを「偶然」や「予定調和的でない」というような不確定な話題に向けては専門家ではなくなってしまう気がして、もう少し計画的な思考を持っていたいという気持ちがあります。

 施主と設計者という二者の想像の範疇で建築ができてしまわないように、ほんの少しだけ遠くの、予想できなった建築に手を伸ばす方法として「物を介した設計」を考えてみたいと思います。

今回収集家で試みたような「物を介した設計」では、施主から設計者に渡されるのは彼らの「所有物」であり「要望」ではない。設計者は「その並べ方として結果建築を提案する」というプロセスになります。部屋数ではなく収めるべき建具の数、理想的な広さの代わりに大きな壁がないと飾れない屏風、という具合に設計者は施主の所有物との絶え間ない対話を行います。そこには人間らしい生活のための寸法感覚が抜け落ちてしまうような隙さえ生まれます。そうしてなんとか収めた建具の動きを建築として引き渡します。

その後実際に起こることを考えてみると、施主はその建築に人を呼び、空間ではなく自分の収集品を自慢していました。建築と設計者はこうして裏方に徹するプロセスになっていきます。建具を自慢している施主を見て思うのは、自分が気に入った物品が心地よさそうに配置された家というのはまず快適なのだろうなということです。

もちろん今回は収集品が「建具」でしたので少し特殊です。施主のコレクションが建築の一部になるという条件で始まる今回の物件は「物を介した建築設計」であり、収集家と建築家の共同とも言えます。自由に動く家具に属さず、全く動かない建築にも属さない、動くが枠から飛び出さないエレメントが収集される家を考えることが施主と設計者の関係という大きなテーマの話題の一つになればと思います。そしてどんな建築の設計も大きく括れば収集家と建築家の共同であると、結論付けても問題ないかもしれません。物を持つことが建築を持つことに繋がる、その繋ぎ手としての建築家は物の観察と建築的思考に長けた人物として専門家を名乗っても良いのかもしれません。

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